手術の覚悟(大げさ)とフランケンシュタイン化

 

再び漢方薬を服用し10日が経ったが、首元の腫れが消えることは無かった。

これは首を割いてもらう以外方法はなさそうだ。と心を決め、手術日を迎えた。

 

全身麻酔での手術の予定だったが、シコリのサイズが小さくなっている事実も踏まえ部分麻酔での手術に変更となった。シコリを摘出後、病理の検査に出される事に決まった(教授もシコリの原因に好奇心があったようだ)

 

病院に着くや否や診察室に呼び出され、抗生物質等の点滴が投与される。

「ここからここまで大体5㎝位切開するね」との言葉と共に

迷走神経反射と大の仲良しの私はフラフラしながら同意書にサインをし、重病人さながら青い服を着て点滴台を引きずりながら手術室へ向かう。

 

手術室のイメージというと、頭上に電気がパ――――ンと光って沢山の医師やら看護師に囲まれる(重症状態で救急搬送された人や大手術の場面しか、目にする事が無いため)印象があったが、執刀医1名、補助1名の実に家庭的な手術だった。ベッドに横たわり「これぞ俎板の鯉ならぬ俎板の人だな。実際に刻まれるしな。やれやれ」と諦念を必死に前面に押し出す。

 

「痛くないとは思うけど痛ければ言ってね~何でも気軽に話してくれていいからね!」と声を掛けられるも、親戚の中でも最も痛み耐性が無い私は「痛い」という単語を聞くだけで痛みを感じる程の特殊敏感体質。「話してくれていい」と言われながらも、首元の手術なだけあり、話せば血が噴き出しそう(イメージ)に思えて話すのも何だか空恐ろしい。

 

来る痛みに備え、目を固く瞑り足をピンと伸ばし備える。来るぞ痛みが。

 

インフルエンザ注射をグッと太くしたような柔軟性のある麻酔針が喉元に刺さり、ジクリとくる楽しかった思い出がよみがえる。「斬首されるってどんな気持ちなんだろうな。」なんて全く関係無くもない事で脳内を満たしながら、「麻酔が無かった時代の事を思うと、私は何て恵まれているのだろう」と。

 

痛みはほんの2分ほどで引き、後はもうただただ首の中で何やらミリ単位の壮大な冒険が繰り広げられるばかりだった。先生は身体へのダメージが少ないように一枚一枚皮膚の組織をはがすように目標シコリまで近づいて行ってくれていた様で、無血手術で済んだ。と看護師さんが手術後に教えてくれた。通常は電気メスで「ジュッ!スパッ!」で終わる所を時間をかけて丁寧に手術してくれたらしい。縫い目もやたらと細かくしてくれていたらしい。良いカルマが溜まっていたのだろうか。有難い限りである。

 

手術が終わり、首回りにテープを張られた末、グルグルに包帯を巻かれる。

「そのテープ!とっても高級なんだから一週間外れないようにチャレンジしてみてね☆」とお茶目な看護師さんの言葉を胸に帰宅する。糸貫きは1週間後になる。

 

首は常時突っ張った状態で右も左も向けない。首が自由に動く事で自分が如何に見えない恩恵を受けているのかを思い知るいい機会となった。

 

洗顔、洗髪を2日間我慢したが、一週間保持しろと仰せつかったテープは2日で取れさり縫い後が露わになった。

 

首元フランケンシュタイン~~~

ナイトメアビフォアクリスマスのサリーやな☆と弟が喜ぶ。

子供が泣く事必至だから、自分自身に外出禁止令を出し、1週間後の抜糸日を待つ。