目指せインドIT留学

 

最近怪しい、眉唾な話ばかりを記事にしているから、そろそろ地に足の着いた投稿をしてみようと思う。ズバリ今後どうするの?というお話。

 

先日、良き後輩から連絡がきた。

彼女は1人インド周遊旅行を決行した後、私を訪ねにネパールにも来たような可憐な見た目は裏腹にマッチョな人柄な女の子だ。今年の4月に某東証一部上場企業に就職を果たし、病んだ時期もありつつ今は営業部門から会計部門に異動が叶い、米国公認会計士日商簿記2級の資格取得に励んでいるらしい。

 

鮮やかな未来計画図に「流石!凄い!」と素直に関心すると同時に「私は特段目標も無く、闘病していたとはいえ、フラフラしていて恥ずかしい限りだわ」と少し己を恥じた。

 

それを感じ取ったのか「れいこさん、LIFESHIFT読みましたか?れいこさんってバリバリのエクスプローラーだな。といつも思うんです。日本社会でエクスプローラーである事は難しいのに、我が道を行っていらっしゃるのを見ると凄いなと思うんです。」と一言。

 

エクスプローラー??」

 

ライフシフトは世間の話題をさらった時に一通り目を通したが、「人の寿命が今後100年に伸びる時代に変わるに従って、従来の生き方のモデルを変えていかなければならない。人生の有り方が今後多様化していく。」程の内容しか覚えておらず(確か、就職する前に読んだ気がするし、その時は「兎に角出世する!」しか考えていなかったから)、自分自身が「エクスプローラー」「インディペンデントプロヂューサー」「ポートフォリオワーカー」のどこに位置するのか。を真摯に考えた事は無かった。

 

「はて、LIFESHIFTどんな内容だったかな?」

 

早速、家でLIFESHIFTを読み返してみた。私の人生自体が「興味あることにとにかく飛び込む。挑戦する。」事に主軸を置いていた事。

 

 

ティージョブズの伝説の公演で

「将来を予め見据えて点と点を繋ぎ合わせる事は出来ない。過去を振り返って繋ぐ事しかできない」という言葉に此れ迄多くの学びを貰った。

 

「兎に角、点を増やさなきゃ!」

と思いながら過ごした大学時代は、結果的に本当にいろんな経験に恵まれた。

 

 

そして実際に気が付けば点が新たな点を生んだり、ひょんな場所でお役に立てたりという経験も沢山してきたように思う。職場でも「あ。この問題は、あの頃の経験を生かすと解決するのでは?」と思い行動した結果、爆速で出世街道を駆け上れた気もする。

 

 

彼女の言葉とライフシフトの内容で、また「これでいいのだ!直観に従うのだ!」と確信を持てた。

 

 

そうだよ!ネパールの占い師の人も「直観で生きても大丈夫!」って言ってたし!

 

 

そもそも長期計画を立てるのが抜群に苦手(立ててもその通りになった試しがない)であるし、これから世の中がどう変貌していくか皆目分からないし。

 

30歳位までフラフラ(エクスプローラー)しよ!(結論)

 

という運びになりましたので、目の手術が落ち着いた5月から2カ月程インドでIT留学とやらをしてくる事にしました!

 

理由は私が「その分野に全くもって明るくないから」と「面白そうだから」それと「ヒンディー語に磨きをかけたいから」です。どんな状況でも稼げる状況でありたいという望みもある。(ITノマドとして生きている友人もいるので)

 

 

インドで何か儲け話を見つける事をサブ目標に、、!

そして、ついでにネパールで占い師の人にもう一度会おうかなとも考えています。笑

 

そしてその為には先立つもの。マニーが必要なので、暫くはコールセンターで日銭を稼ぎながら、適切な喋りが出来る様に自己鍛錬を重ねます。

 

並行してプログラミングの練習と宅建の勉強はしつつ、7月までの予定はこれを照準に実行です☆

 

 

 

 

 

 

 

米占い??3ヵ月経った今になって分かった当たりすぎていた占い(ネパール)

 

父の脳に薄い影が見つかったそうだ。

 

随分と昔に出来たもののようで、今回人生で初めて脳の検査をした結果、異常が見つかったそう。大事が起こる前に発見が出来た事を有難く思いながら、ふと昔ネパールで占い好きの友達お墨付きの「100発100中当たる占い師」の元に連れて行ってもらった事を思い出した。

 

彼女は、人生気苦労が絶えず、それを打開すべく色んな占い師の元に通ったそうだが、その人の的中率、未来を見通す能力は間違いが無いのだとか。彼女自身も個人情報を全て言い当てられ、またその占い師が未来に起こると予想した事も何一つ外れる事なく移行しているのだとか。連れて行った友達も同様で、本当に怖い程当たる占いらしい。

 

「面白そうやん!」とすっかりウキウキ気分で連れて行って貰うように頼む。慣れた手つきで予約を入れた友人は、「前準備としてお米を500g程用意して、3日間枕元に置いてほしい。そうしたら、貴女の情報が米にインストールされるから」という。「米?500g?枕元?インスト―――ルwww」と半笑いになりながらも、決して軽くはない500gの米と3晩を共にした。

 

当日、私以外にも友人お付きの運転手さん、その妻、友人の友人。も連れたって占い師の元へと向かった。長い坂を下りていくと、如何にも「占い師が住んでいそうな館」が目の前に出現。ネパールの家屋なので、なんせ古く今にも崩れ去りそうな事は勿論の事、霊感の無い私にでも「只事ではなさそうだぞ!」と思わせる雰囲気を纏っていた。

 

ズンズンと中に入っていく友人に、少し不安そうな面持ちで追従する私。

 

中に入ると6畳間位の小さな部屋に恋人が2人順番待ちをしていた。今後の2人の将来の話でもするのだろうか?向かいの部屋からはネパール語でムニャムニャ言っているのが聞こえてくる。きっとこの部屋で占いが行われているのだろう。

 

一緒に来た仲間達と談笑しながら、順番が来るのを待つ。

友人の友人は此れ迄、10回以上この場所に足を運んだらしく、毎回毎回、一切合切全てを言い当てられるのだという。

 

期待と不安とチョットした恐怖感を胸に時が過ぎるのをただ待つ。

 

お付きの者から声がかかり、涙目をして出てきたカップルを横目に部屋に入る。

 

部屋は薄暗く、お香の香りがプンと漂っており、その香りの奥に年老いたお婆さんがチョコンと座っていた。70歳くらいだろうか?目の鋭さが尋常ではない。

彼女は「そこに座れ」とばかりに手を招かれ、つかず離れずの場所に座った。

 

3日間で私の情報をインストールしきっただろう500gの米と、マリーゴールドのお花とお供え物をソロリと手渡すと、彼女は何やら念仏のようなものをブツブツと唱えながらお供え物たちを捌いていった。そして、米の袋から一掴み程の米を掴みだすと銀色のプレート(よくあるインド料理屋さんでカレーが乗って出てくるアレ)の片隅にチョンと置いた。

 

それから彼女はブツブツとまた何かを唱えながらフっと瞑想状態に入った。「困った事や恥ずかしい事を言われやしないか、、」と方や私のドキドキも最高潮に達しようとしていた。

 

スッと目を開けた後、彼女はおもむろに米粒を指先で操り、銀のプレート上に大きく文字を書くように並べ始めた。

 

「一体何が始まるのか」と乗り出してみている内に彼女は話し始めた。内容は細かにメモをしたが、ここで書くと個人情報がかなり割れてしまうので控えておく事にする。私自身、納得がいかない部分も多々あり、「正答率は5割~6割くらいかな?」といった印象だった。気になる結婚も1年半以内(この相手は既に出会っている)、それを逃せば3年以内には良縁に恵まれる。との言葉にホッと胸を撫でおろす。全ての言葉は「まぁ、貴女は別に何をやっても上手くいく人生やで」とポジティブに締められ、何らお咎めもなく終了。チベット人の彼氏とは速攻別れるべきと強く言われた位のもの。

 

後ほど他の占ってもらった人達に話を聞くと、運転手さんは「深刻な状況なので後日再度くるように」と言われたそう。一緒に来た奥さんも青ざめた顔をしていたのは今でも覚えている。

 

私はというと、、見てもらった内容の結果が、かなり家庭の内情中の内情だったこともあり、私自身家族に言い出せずにいる事も多くあった。しかし、時間が経てばたつ程にその占い師が言う様な未来に傾いていったのである。

 

そして今回の父の病気である。私がメモに残したものの正答率は現時点では100%になった。占い師曰く、一年以内にまたその占い師の元を訪れる運命にあるらしいから、

 

 

次回訪れた時は悩み事をたんまり持って行く事としよう笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母と共に本当のモテプロフを目指して

 

 最近、母が(私の)出会い系アプリにはまっている。

 

時は2週間前に遡る。30歳を目前に結婚への焦りを見せ始めた従妹が「最近の恋愛事情」について話をしていた時の事。30歳までに結婚を目指している彼女は、職場での出会いが望めないと悟り、出会い系アプリでマッチした人と毎週ご飯に行く生活を送っていると聞いた母は信じられないといった表情をした。

 

「そんな確実性の低い、どこの馬の骨とも知れない人と会うよりは、信頼出来る友達から紹介してもらう方がいいんじゃない??」と始めこそ守りの姿勢を見せていたが、アプリを見せてもらうや否や「ナニコレ。メッチャおもろいやん!!」と上半身乗り出し気味に。

 

人相学を嗜む(嗜む)母は、従妹とマッチングしている人達を次々と断罪するという趣味の悪い楽しみ方をした後に「アンタのプロフィールを見せなさい」と頼まれていないカウンセリングを開始。

 

結果「このプロフィールは可愛くは出来ているかもしれないけれども、貴女の良さが全く出ていない。これで釣れる人は、貴女が一緒にいて幸せになれる人ではない」と完全断罪。

 

「そんなことないもん!コレがモテプロフィールだもん!」と頑固な従妹。

 

上目遣いの写真に少し加工を加えた写真とピンクっぽい写真たち。絵文字満載のプロフィールは、一般的にはウケがいいのかもしれない。事実、従妹の獲得イイネ数は500を超え、人気会員と言っても良いレベルだった。

 

「何事もゴールから考えなければならない。貴女にとって合う人はどんな人なのか。それをキチンと認識出来ていない状態で進めるのは、ゴールの見えないトンネルを松明も持たずに漂っているようなもの。貴女は誰と出会いたいのか?」

 

従妹は見た目こそ派手でありながらも、根は超が付くほどの真面目。これまで付き合ってきた人も顔やスペックの良しあしよりも人としての誠実さに重きを置いていた。そして、それでも尚、相手の不貞で別れを決めている程だった。私からしたら「まぁ。人間、ましては男。そんな事もあるよね~」で済まされる事が彼女には許せないようだった。なんせ真面目なのだ。

 

しかし、現在の従妹の出会い系アプリの使い方は、まるで「スーパーで人気且つお買い得の商品を探している血眼の主婦」ようだった。自分の好みを考えず、口コミが良い商品、他から見て身長、顔、年収を見て一瞬で判断を下し、そのフィルターを見事潜り抜けた人から選択を始める。これまで付き合ってきた人たちが決してそのフィルターを潜り抜け得なかった事も頭からは消えているようだった。

 

「本当にその条件で探すことが貴女にとっての幸せに繋がるのか?」それが母の疑問だったのだろう。それには私も頭がモゲル程に同意した。

 

なるほど。。出会い系アプリの弊害やズレはこういった所にあるのかもしれない。

顔が見えない。伝えられる情報が制限されるからこそ、より一層より精緻に「自分は何を求めるのか」を認識する必要があるのだろう。そういった面では、巷に溢れる実地での出会い仲介業は、仲介者が「相手の総合的な姿」を知っている分だけ確実性が高いと言えるのだろう。

 

 

 出会い系アプリ自体は大学時代、友人とノリで登録した以来1カ月に1度程度の割合で釣果を競い合う程度の関わり方だった(今思えば本当にタチが悪い)。海外では友達作りに多用したが、日本で実際にアプリを通して会った人数は4人位だと思う。

 

 

特に「結婚相手を探したい!」という強い思いも無く「面白い人が釣れるといいな~」位のぬる~い温度感だったので、本当に「適当~~に。ゆる~~く。アプリを削除はしない程度」だった。

 

 本当のモテプロフとは何なのか。出会い系アプリで出せる最高馬力はどれくらいなのか。終わることのない火蓋は切られた。

 

「アンタもアカウント持ってるんか?」と問いただされ、私は携帯を差し出すより他はなかったのだ。

手術の覚悟(大げさ)とフランケンシュタイン化

 

再び漢方薬を服用し10日が経ったが、首元の腫れが消えることは無かった。

これは首を割いてもらう以外方法はなさそうだ。と心を決め、手術日を迎えた。

 

全身麻酔での手術の予定だったが、シコリのサイズが小さくなっている事実も踏まえ部分麻酔での手術に変更となった。シコリを摘出後、病理の検査に出される事に決まった(教授もシコリの原因に好奇心があったようだ)

 

病院に着くや否や診察室に呼び出され、抗生物質等の点滴が投与される。

「ここからここまで大体5㎝位切開するね」との言葉と共に

迷走神経反射と大の仲良しの私はフラフラしながら同意書にサインをし、重病人さながら青い服を着て点滴台を引きずりながら手術室へ向かう。

 

手術室のイメージというと、頭上に電気がパ――――ンと光って沢山の医師やら看護師に囲まれる(重症状態で救急搬送された人や大手術の場面しか、目にする事が無いため)印象があったが、執刀医1名、補助1名の実に家庭的な手術だった。ベッドに横たわり「これぞ俎板の鯉ならぬ俎板の人だな。実際に刻まれるしな。やれやれ」と諦念を必死に前面に押し出す。

 

「痛くないとは思うけど痛ければ言ってね~何でも気軽に話してくれていいからね!」と声を掛けられるも、親戚の中でも最も痛み耐性が無い私は「痛い」という単語を聞くだけで痛みを感じる程の特殊敏感体質。「話してくれていい」と言われながらも、首元の手術なだけあり、話せば血が噴き出しそう(イメージ)に思えて話すのも何だか空恐ろしい。

 

来る痛みに備え、目を固く瞑り足をピンと伸ばし備える。来るぞ痛みが。

 

インフルエンザ注射をグッと太くしたような柔軟性のある麻酔針が喉元に刺さり、ジクリとくる楽しかった思い出がよみがえる。「斬首されるってどんな気持ちなんだろうな。」なんて全く関係無くもない事で脳内を満たしながら、「麻酔が無かった時代の事を思うと、私は何て恵まれているのだろう」と。

 

痛みはほんの2分ほどで引き、後はもうただただ首の中で何やらミリ単位の壮大な冒険が繰り広げられるばかりだった。先生は身体へのダメージが少ないように一枚一枚皮膚の組織をはがすように目標シコリまで近づいて行ってくれていた様で、無血手術で済んだ。と看護師さんが手術後に教えてくれた。通常は電気メスで「ジュッ!スパッ!」で終わる所を時間をかけて丁寧に手術してくれたらしい。縫い目もやたらと細かくしてくれていたらしい。良いカルマが溜まっていたのだろうか。有難い限りである。

 

手術が終わり、首回りにテープを張られた末、グルグルに包帯を巻かれる。

「そのテープ!とっても高級なんだから一週間外れないようにチャレンジしてみてね☆」とお茶目な看護師さんの言葉を胸に帰宅する。糸貫きは1週間後になる。

 

首は常時突っ張った状態で右も左も向けない。首が自由に動く事で自分が如何に見えない恩恵を受けているのかを思い知るいい機会となった。

 

洗顔、洗髪を2日間我慢したが、一週間保持しろと仰せつかったテープは2日で取れさり縫い後が露わになった。

 

首元フランケンシュタイン~~~

ナイトメアビフォアクリスマスのサリーやな☆と弟が喜ぶ。

子供が泣く事必至だから、自分自身に外出禁止令を出し、1週間後の抜糸日を待つ。

 

 

 

 

ラビット(仮名)と行くラスト静岡

 

3回目の青木クリニック訪問は、この病気騒動で訪れる最後の訪問と心に決めていた。

 

シコリの中の寄生虫が死滅したのか否か。死滅したとすれば、このシコリは消える可能性があるのか否か。

 

もしシコリが自然に消えないのであれば「外科手術」が「永遠の二重顎」の二択になる。嫁入り後ならまだしも、嫁入り前(嫁入れるかは不明)例え1ミリであっても美しくありたいのが乙女心である。

 

そんな思いを頭に巡らせていると、ラビット(ドバイ人)が新型プリウスでお迎えにやってきた。彼は中古車(トラックや農機具なども含む)の海外輸出や国内での販売を手掛けており、その関係で自分の好きな車に好きなだけ乗れるのだ。今回は旅の移動距離が長い事もあり、新型プリウスで来てくれた。

 

新型プリウスは座席シートが暖まる仕様に加え、便利機能をこれでもかと搭載していた。そして、長らく苦しめられてきたエコモード機能が無くなっているのを知り、セコセコせずに旅行できるとホッと胸を撫でおろす。(貧乏性の私はプリウスに乗ると、エコモード状態で走らなければ罪悪感を抱いてしまうのです)

残り走行距離1000キロとの表示を見てプリウス愛が急上昇。

 

いざ出発。目指すは遥か彼方240キロ先の焼津。

貧乏性の私達は国道1号線を駆使し、下道を地道に行く事を選択。

日本の高速道路は高すぎる!どうして交通費を高くするんだこの国は!

とグチグチ言いながら、絶えず話続けては疲れたら色んな国の音楽を流して楽しみ、

ヒンディー語の会話レッスンをみっちり付けてもらったりなどする。

 

 

ドバイで生まれた彼は、ファミリービジネスの関係でパキスタンで過ごす事も多かったらしく、アラビア語に加えてウルドゥー語も話す事が出来る。ウルドゥー語は、言葉としては9割方ヒンディー語であるにも関わらず、使用している文字はアラビア語の不思議な言語だ。なので、ヒンディー語の練習相手には正にもってこいの存在なのだ。

(彼曰く、ウルドゥー語はお上品に聞こえるが、ヒンドゥー語は美しくないらしい)

 

語学学習も捗り、中東地域の音楽の知識もつき、「君がもし名古屋に住んでくれるならば、引っ越し祝いに可愛い猫をあげよう」などと口説かれている内に無事焼津に到着。

 

前回立ち寄った頬っぺた落ちる地元の名店でご飯をし、無事1日目の終了。

 

2日目は、朝早く布団から這い出て富士宮へと向かう。爆音のイスラム音楽を鳴らしながら失踪するプリウスは目を引く存在だったかもしれない。

 

行き道がてらに、これから行くクリニックは少し様変わりな事を伝える。

「あぁ。知ってるよ。イスラムでは黒魔術師(BLACK MAGIC)と呼んでいるね。僕は世話になったことは無いけれども、通っている人は少なくないみたいだね。日本にもあるとは知らなかったな~」と勝手に納得されたご様子。

 

黒魔術??悪い印象しか無いんだけど、まぁいっか!

百聞は一見にしかず!

 

無事クリニックに到着すると、以前と比べられない程の人の賑わいが。

この日は12月の28日。一年の最後の診療日とあって駆け込み需要が爆発しているのだろうか。

 

「インフルエンザじゃなくって、た・だ・の風邪だって~~」

と突然横から声が聞こえ、振り向く。風邪の診断の時も、先生はあの不思議な機械と不思議なカードを使うのだろうか?特殊な事情を抱えた人達が集う場所という勝手な印象を抱いていた事もあり、普通の病気の診断がある事に新鮮味を覚えた。そういえば、レントゲン室もあるにはあったな。

 

 

そうこうしている内に順番が回ってきて診察室に通される。

先生はラビットの顔を見て、少し驚いた素振りで「ん?外国の人?どこの人~~?」

と聞く。外国人が訪れたのは、これが初めてだったのかもしれない。

 

症状を話すと先生は、スッと黒い棒を私の頭上に振り上げた。

「お!首元の寄生虫は全滅してるね!良かった~~ただ、この腫れが引くかは保証できないな、、出来る限りやってみるから手を出して」

漢方薬を「これじゃない。これは効きそう。これは違う。」と選択しながら処方してくれる。

 

どうなるか分からないが、これが最後のチャンス。もし腫れが引かなければ外科手術を決めよう。と決意し、行き帰り共に専属の運転手を務めてくれた帰路につく。

 

さて、どうなることやら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消え切らないシコリと経過観察。

 

11日間の服用が終わり、シコリも随分柔らかくなった感じがした。しかし、まだ完治には程遠い。見た目に美しくない二重顎は、今も尚健在だ。

 

大学病院への経過観察の為の診察を予約していた日になり、渋々と大学病院に向かう。

 

「エコーで見てみましょう。」と教授。

結果は、全体的に薄く小さくはなっているものの完治ではないという予想通りの結果に。

「引き続き、経過観察をしますか?経験上、これくらいのサイズのシコリだとシコリの病原が退治されていたとしても、シコリ自体が消滅する事はまず無いとは思いますが、、」と先生。

 

「となると、一生2重顎か、摘出手術の2択ですか」と私。

 

「そうなりますね。悪性の腫瘍ではないので、放っておいても実害はないと思いますが、見た目には響きますよね、、」と先生。

 

全身麻酔の手術に怯えがあったのと同時に、首元に鎮座していた寄生虫どもが死滅したのか否かが気になった。もう一度、青木クリニックに行ってみよう。その結果を聞いて手術の決意をしても遅くないだろう。(物語としても、綺麗に完結するし)

 

家に帰って、結果を伝えると「静岡、遠いわぁ。」と母の一言。

ならば1人で行くしかないなと心を決めていた所に

 

ラビット(ドバイ人)から「ドライバーなら僕に任せなよ!どんなに遠くても、病院連れていくよ!」と一言。「かなりの長距離になるから、新型のプリウス用意するね~」と優しい言葉に「ごめん。今までイジメ倒して。プリウス最高。」と軽く反省。

 

例にももれず、父は「男と二人旅なんて許さん!」と怒っていたけれども、「時代やから」となだめる母(ラビットとは面識あり)に最終的には折れたらしい。

 

私、これまでも恋人じゃない人と2人旅なぞ何回してきたか数えきれないんだけどな。まぁその話はいいや!

 

次回は、波乱万丈ドバイ人との静岡2泊3日旅行の幕開け~

 

 

 

続く、、の続き

 

青木クリニックで処方された漢方を飲む事11日間。

食べ物を見るだけで吐き気がし、焼き肉に行っても肉を一枚食べたらギブアップしていた時代が嘘のように、食欲が回復した。嬉しくて思わずイキナリステーキ完食チャレンジを決め込んだ程である。

 

首元のシコリも少し小さくなっている気がする。

そして、何よりも耐え難い程に痒くて仕方がなかった肌の痒みが綺麗さっぱり消えたのである。かゆみ止めを飲まずして、安眠できることの幸せさ。皮膚を掻き毟ろうと伸びる右手を、左手でギュッと抓っていた過去の日々が悪い夢のように思えた。

 

痒くないってすごいな!

 

寄生虫が病気の原因だった事に私は完全に納得しきっていた。

しかし、気になるのは11日の服用が終了しながらも、首元のシコリがまだ完治からは程遠い事である。大学病院では「完全に原因不明お手上げ状態」だった首のシコリは

 

年末年始、「もう一度行ってみるか」と母と共に車を静岡まで走らせた。

一度行ってしまえば、静岡もそう遠い道のりではないように思えてくるのだから不思議だ。

 

到着し、いつもの様に携帯の充電をオフにし、読書に勤しむ。

院内の至る所に貼られている情報に目を配る。携帯によって、如何に自分が取りたい情報ばかりを取っていたのか。自分の浅学さを恥じ入る。

 

順番が回ってきて、慣れた素振りで両手を差し出す。母は横に座っていた。

先生は、寄生虫のカードを私の右手にポンと置き、謎の棒を頭上から足先まで辿らせる。

「体中の寄生虫が消えているね!良かった~ただ首元の寄生虫は、かなり強い寄生虫みたいだ。これは日本の漢方で下せるかどうか分からない。」と何時になく難し気な顔の先生。再びポンポンと色んな漢方薬が手に載せられ、「これは効くかもしれない!」とまた数種類の漢方薬11日分が処方される。

 

今回は単なる再診としての訪院だったが、これだけで帰るのはあまりに呆気ない。という事で私、母共に「フラワーレメディー」の予約もしていた。この「フラワーリメディー」とは1930年代にホメオパシー医のエドワード・バッチ先生によって開発され、心理面の安定や精神の健康を目的とし、今も世界中の医療関係者や代替医療関係者に愛されているそうだ。

 

博士自身は、植物が持つヴァイブレーション「波動」に、人の心や感情を本来の健康で元気な状態に整える働きがあり、健康とは肉体的な理由によるものよりも、むしろ落胆や心配、悲しみや怒りなどの感情や心理的な不安定によって損なわれるものが多い点に着目し、健康を維持するためには、何よりも心の平安が大切であるとの結論に達したそう。

 

通常は、38種類の花から、個人個人にとって必要とされるエッセンス(性質)をカウンセリングを通じて選び出し、エッセンスの配合を行うのが一般的だそう。そう説明した後、先生は花の表をスッと取り出し「僕の場合は、カウンセリングではなくて個人から漂う気を探知してその人にとって必要なモノを割り出せるから、この表に近づいて」と一言。

 

 

手のひらを私から表に向かってヒラヒラさせながら(そう、まるで花たちに私のニオイを嗅がせるようにして)、選択された花の絵に指で触れるように告げられる。

 

私の場合は、アザミと、、忘れちゃった笑(こういう時にしっかりとメモをしておくべきなのだと思い知らされます)もう一回訪ねた際は、今一度詳しく話を伺いたい。

 

私の性質、正確に関して自分でも意識していなかった核心に触れていて驚いたことと、分散されている意識、目標を定めると大きく飛躍できるだとか、、そんな感じだった気がする(気がする)

 

 

こういう事ってメモしないと本当に覚えられなくて恥ずかしい限りだわ。反省と学びに変える事としよう。多分こういった形で色んな事を忘れながら生きているんだろうなぁ。と思わされる事が多いから、これまでインスタグラムで展開していた映画書評や、覚えておきたい情報の発信も再開しなければならないなぁ。なんて呟きながら、小さなボトルを受け取った。一日2.3回、3滴程をポトポトと口の中に落として喉元に暫く置いておくとよいらしい。

 

今後、漢方にせよ。フラワーレメディーにせよ。どんな効果が現れてくるのかを楽しみに片道6時間の帰路につくのである。